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大学受験や国語の勉強法についての情報を発信しています

国語で点数が上がらないという悩み

国語はどうやって勉強すればいいかわからない。国語は勉強してもたいして効果が無い。そもそも人から教わらなくても日本語は十分読める。多くの人がそんな認識を持っている。では、なぜ国語だけがそのような見方をされるのか。私もこの問題を長い間考えてきた。塾などでアルバイトをしたことがある人なら理解してもらえると思うが、自分の中で絶対的な自信のある勉強法でも、いろいろなタイプの子どもに指導をしていると、その自信がだんだん揺らいでくる。その原因のほとんどは、真面目に勉強しない生徒にいくら教えても成績が上がらないことだと私は考えている。実際、偏差値の高い高校の生徒に同じやり方で指導をしてみると、急激に成績が上がったりする。本来、勉強の仕方というのは千差万別である。そして、そのどれも正しい。というよりもむしろ、正解はなく、遠回りをしながらも結果として成績は上がると言う方がしっくりくる。私がもっとも指導経験の多い科目はおそらく英語と日本史だが、塾や家庭教師で教えるやり方というのは、当然学校の授業とは違うし、高学歴で有名な人々が教えるやり方と違うところはたくさんあると思う。なぜかというと、1週間1ヶ月1年で教えられる時間に大きな差があるからだ。学校は平日毎日あり、主要な科目はそれこそ毎日のように授業がある。学習指導要領に沿った教科書ベースの集団授業である。一方、塾や家庭教師の場合、普通は週に1回で授業は60分だけと言う形態が一番多く、教材は塾指定のものがあったり、市販されている学習参考書であったりすることが多い。それらの教え方の差こそあれ、日本史や世界史、現代社会や政治経済、倫理などの社会系の科目では、体系的に知識をひたすら暗記してゆけば高得点を取れる。問題はその暗記の度合いや仕方だけであって、必要な勉強時間をとりさえすれば誰でも点数を上げることができる。一番国語に近い英語であっても、英単語を2000個、熟語を100個、構文を50個ほど暗記すれば大学受験程度は問題なくクリアできる。英語や国語が社会系の科目と違うのは、正解の根拠となる知識が問題の文章中にあるという点である。例えば日本史の勉強であれば、教科書や資料集などに書いてある知識がそのまま試験問題における解答でもある。しかし、英語や国語では、大問ごとに読む文章の内容が正解の根拠となる知識であり、それをもとに全ての問題を解くことになる。当然社会系と同じように教科書などで暗記すべき知識もあるが、その割合が非常に小さい。これが国語の勉強法を難しくしている一番の原因だと考えている。『インフォメーション』という本の、情報技術の発展の歴史を述べる文脈の中で、アリストテレスが定式化したと言われる三段論法についての記述がある。これを読んだときに、もしかするとここで言っていることが分からないから、国語が苦手な人は点数が上がらないのではないかと思った。つまり、昔は語られる言葉しか存在しなかったが、書かれる言葉が生まれてから、特にギリシアで抽象的な用法が広まり、三段論法のような言語の中だけで独自に存在する論理というものが生まれたのではないかと。確かに、本をいっさい自身では残さなかったソクラテスではなく、彼の弟子でもあり、多くの著作を残したプラトンアリストテレスあたりから始まっているのは意味深である。高校生の中で国語がわからないと言っている人達は、この文章中にしか存在しない論理を読み取れていないのではないか。文章を読むときに人はそれを勝手に解釈する。その解釈の仕方があまりにも筆者の主張と外れて理解しているとか、複雑な文章を整理して理解できておらず、問われている箇所に関する記述とは違うところを根拠としてしまっているとか、難しいこと用語が出てきた時に、その言葉の意味を筆者がわかりやすく説明してくれているのに、そこをちゃんと読んでいなくて、文章の意味を理解できていないとか、他にも色々なパターンが存在するが、結局は各人によって異なる論理が存在するという事実を理解できてないのだと考えるようになった。それがわかったからといって、先の述べたように、実際につまずいているポイントは人それぞれ違うので、これさえやればいいというお手軽な解決策はまだ発見できていない。同じ勉強法でもそれをちゃんとこなせるように指導すれば必ず成績は上がると信じているが、そのやり方をどれだけやらせようとしても失敗する例はある。全て大切なことは教え切ったはずなのに、どうしてこんなに点数が上がらないんだと思うことはよくあること。その度にポイントの一つ一つを確認させると、覚えていなかったり、わかっているつもりになっているだけであったりする。国語の勉強法を教えてくれる参考書も最近は質も量も上がっていると思うが、結局はこのように身につけているかどうかを確認することが容易ではないし、まして、独学のものは自分の理解度合いを客観的に把握することは難しい。一度高得点を取って成果が出たと喜んでも、そのあとでありえないくらい低い点になることもあるので、国語はとにかく他教科よりもはっきりとした成果が目に見えにくい。だからこそ、一度のぬか喜びで終わらせずに、アベレージが上がるまでひたすら基本を繰り返しやるしかない。制限時間が厳しすぎて間に合わないというよくある課題もひたすら勉強を続けることでしか乗り越えられない。いつできるようになるかにはどうしても個人差が出てしまう。志望動機が弱い人はすぐに諦めるし、教え方が悪いとかこの文章は間違っているとか言って人のせいにすることで、すぐに無私の精神を無くしてしまう。ちなみに、指導をしていてすぐに結果が出る人の特徴として、謙虚であるというものがある。これは決して卑下することではなく、自分の現状を冷静に見つめ、周りの人への感謝を忘れない姿勢のことだ。合格を勝ち取るために、今一度日々の勉強に向かう姿勢を見つめ直してみよう。